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白虎隊記念間

白虎隊に関する様々な資料が見られます。

白虎隊以外にも沢山の展示品があります。

2回ではビデオ鑑賞ができます。

ここでは、とても良い資料が購入できました。

白虎隊記念間HP (他サイトへ)

白虎隊伝承史学館

白虎隊に関する様々な資料が見られます。

白虎隊以外にも沢山の展示品があります。

中には実際に持てるものも…

鶴ヶ城

至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。【公式HPより引用】
三層の幕末の動乱と会津が今回の白虎隊資料がたくさん掲示されています。
鶴ヶ城天守閣リニューアルオープン 2023 4月1日(土)(4・5層開放プレオープン)
2023 4月28日 全館グランドオープン

【鶴ヶ城公式HP】 (他サイトへ)

茶室麟閣

天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。それにより利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願いでたのです。この時に建てたのがこの「麟閣(りんかく)」と伝えられています。 その後、少庵は許され京都へ帰って千家を再興し、現在の茶道へと伝えられています。 戊辰戦争後、城下に移築され保存されていましたが、平成になって元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。 茶室を眺めながらお茶を楽しんだり、氏郷の命日にちなんだ月例の茶会が開かれたりしています。【公式HPより引用】
鶴ヶ城の敷地内にありチケットは別売りです。お茶代を支払うとが頂けます。天守閣との共通券もあります。
美味しいお茶菓子と、お茶が頂けます。

【茶室麟閣HP】 (他サイトへ)

お薬園

代々会津領主が愛した別荘地 六三〇余年の會津の歴史と育んだ御薬園 御薬園の歴史は古く、約六百年前に遡ります。 室町時代、会津守護職の葦名盛久が霊泉の沸くこの地に別荘を建てたのが始まりです。 その後、会津松平藩の藩祖保科正之公が大名庭園として整備したことを皮切りに、 二代藩主正経は、疫病から領民を救い病気の予防や治療などに使用する 薬草の研究のために薬草園を設けました。 代々の会津松平藩主は、薬草園の整備、朝鮮人参の栽培奨励と海外貿易など、 ここ御薬園を舞台に会津文化を花開かせたのです。【公式HPより引用】

【御薬園HP】 (他サイトへ)

日新館

会津における教育のはじまりは、日新館創設より更にさかのぼること寛文4(1664)年、日本で初めて民間により創設した庶民のための学問所といわれる「稽古堂(けいこどう)」とされています。これに対し、会津藩初代藩主 保科正之は税金を免除し、大いに奨励しました。【公式HPより引用】

【日新館HP】 (他サイトへ)